あと5年で死ぬとして

後腹膜平滑筋肉腫の外科治療後、肝臓に遠隔転移した33歳のつれづれ。

未練と後悔

この集めたアイドルグッズ、ハンドクラフトの道具たち、さまざまな紙や布や刺繍糸。版画の道具だって今年に入って揃えたのに。捨てちゃうのはあまりにも惜しいではないか。この惜しい気持ちが未練というやつ?


ものづくりを趣味としていたから、モノに対しての執着が強い。裏を返せば捨てられない病なのだが。何年も前の洋服も捨てられない。だって今見てもかわいいし。紙袋や厚紙、梱包材、ふとみつけたリボン、イラストの参考になりそうなポストカード 、シール、ワッペン…  もともとそういう要らないけどかわいいものを買ってしまう悪癖があるのに、アイドルやゲームのオタクであったから尚たちが悪かった。


「推しっぽい」は迷わず買ってしまう禁断の言葉である。あわよくばこの推しグッズたちは、同じ推しの人にかわいがってもらいたいが、そこまでを死後に頼むことはできないので、余命いよいよとなったら自ら処分先を決めようと思う。ものづくりの細々した道具もおなじく有志の友に生かしてもらいたいものだ。


漫画や本などは妹に渡したい。実家にまだ多少のスペースがあるだろうから、ひとまずはそこに置いておこうか。なにせ旦那に頼んでも彼は人嫌いが進んでいるのでとりあわないだろう。私が死んだあとに、私の実家と交流が続くともあまり思えない。今の家に住み続けるなら、生活費のたしに保険金の半分は旦那に渡そうかな。いや、1/3でいいか。でも家賃は私の口座から引き落とされているので、というか契約者が私なので、死んだ場合ってどうなるんだろう。

いよいよとなったらその辺も調べないといけないな。


残りの額は母、叔父、妹に。実家もなかなかの古さで雨漏りがすごいから、もう修理ではなく手放してしまえばいい。実家は、父の希望で母の実家をラーメン屋ができるように立て直したものだ。父が肺を患って今は休業している。

父はこの間、最後の望みの薬を投与した。その前日に実家に赴いたが、その場で次の確定申告や休業手当申請のレクチャーをされた。私はフリーランスなので毎年確定申告をするのだが、あまりにも入力作業が嫌いで友人や妹に対価を支払ってしてもらっている。そんな自分に全く知らない店の帳簿から申請まで任されてもな…。レクチャーの間に「ママは全然知らないの?」と何度か聞いたが、ママは全く一切知らないらしい。コンピュータが扱えないというより学ぶ気がないのだ…。


そんなこんなで父がもしこの数年で亡くなったらいよいよパート勤めの母、叔父、無職の妹だけになる。良くも悪くもひとりで完結している旦那と違って心許ないったらない。


我が家は最初こそバブルの残り香があったものの、ほとんどは経済的にずっと苦しかった。借金は膨らみ続けた一方で店は立ち行かなくなり、父はバブル期勤めていたころの知り合いのツテで再就職して単身名古屋までとんだ。癌を発症したのはその時だった。


もう定年間際のおじさんが新しい職場で馴染めることもなかったのだろう。かなり、ストレスも溜まっていたようだった。当時は私も会社勤めでたまたま名古屋に出張があったので単身赴任の父と名古屋で落ち合うことにした。一年もたっていない頃だったと思うが、それでも久々に顔を見たときには、内心かなり驚いた。ものすごく老けていたから。それまでは客が来なくても客商売、毎日自分の決めたルールで自分の店をまっとうしていたのが、突然サラリーマン男一人暮らし。このときに、なんとか自分が援助してでもお店に戻してあげることができていたら、もしかしたら癌の発症はなかったのではなかろうか。人生の中で大きな後悔のひとつではある。