あと5年で死ぬとして

後腹膜平滑筋肉腫の外科治療後、肝臓に遠隔転移した33歳のつれづれ。

病院の待ち時間

今日は先週までに行った精密検査の診断を聞きに行く日だった。予約は13:30〜14:00。家族と来てくださいとのことだったので夫に午後休をとってもらい、一緒に13:30に病院に到着。待つこと一時間。14:30頃呼ばれて説明をきく。

MRIを行った結果としては、小さいものを含めて四つ腫瘍がある。うち二つはPET検査でも反応が出ておりがんで間違いがなく、おそらく残り二つの小さいものも同種の癌である。

CTで確認されていた大きなものだけであれば外科手術で取れば良い話だったが、そうもいかなくなった。そもそもこの短期間で複数、バラバラに出現しており、外科手術でとったところで、その後も再発が予見される。そうなると化学療法の方が有効的という判断もあり得る。

もともとあなたのがんは希少がんで、この大学病院ですら例が少ない。投薬をするにもこの病院では不十分かもしれず、希少がんだけを専門にしている病院の紹介も視野に入れて検討したい。うちにも希少がんを扱う腫瘍内科はあるのでまずはそこの外来を受けて相談し、内科の先生と僕(外科の先生)で相談し、またご家族を含めて相談したい。金曜はあいてるか?


…まだ何も決まらんのかい!


一時間待たされ、内科の受診次第ですと言われたのだった。今日家族を呼んだ意味はあっただろうか?内科の先生に先につないでおいてもらえないのだろうか?

同じ病院といえど科が違えば紹介状やら何やらが必要なのだろう。その前に患者とのコミュニケーションの必要があり、そもそも外来で来て初めて検査結果の診察というものが始まるのだろう。そうでなければ、毎度一時間待たされる理由がわからない。10分ほどの診察…というか面談後、内科の外来、検査予約を用意するということで一時間待たされ、病院を出たのは16時前だった。(ちなみに会計は240円だった。)


夫に合わせて昼食を食べずに病院に行ってしまったので、夕方フードコートでの軽食となり、その後買い物のために色々とスーパーをはしごして、帰ったときには軽い熱中症でダウンした。何の成果もなさがすごい。


医者や看護師には毎回必ず、仕事はどうですか、と聞かれる。どう、とは?

毎回、フリーランスなので時間の自由は効きやすいということは伝えるのだが、そもそも何を聞かれているのか?何を伝えたいのか?

むしろこちらが聞きたい。いつまで仕事できますか?何がどうなったら仕事ができない状況になりますか?

しかしこの質問に答えはないことを知っている。要するに外科の範疇を超えているのでこの先のことは答えられないってことをさっき長たらしく言われたから。

仕事よりイベントを大事に生きてるので、イベントと重ならなければなんでもいいんですけどね!仕事は?と聞かれるとイベントのことは答えないので、予定のことを聞かれているのであればそのように言って欲しい。明日も来てくださいと言ったら来られそうですか?とか、そういう聞き方をしてほしい。

毎回必ず仕事は?と聞かれるので、毎回返答に困る。初めてかかったときから自宅で短納期の請負の仕事をしていて時間で働いてはいないのだが。納期まで全て潰れるようなことがなければ仕事は成立するのだが。どこまで詳しく聞きたいのか?何を知りたいのか?毎回サラリーマンだと思われているのか?

忙しいときは、長い待合の間に仕事もできるので通院に全く困ってはいないが、この無駄なやりとりは、なくしてほしい。


悪性腫瘍の再発に間違いはなかったので、両親には初めて再発のこと、現状わかっていることを話した。電話をして、まずは父の容体を確認し(父は可もなく不可もなくという状況だった)、自分のことを告げたのだが。告げた瞬間の両親のひどくがっかりした声には、少し心が痛んだ。正直寝耳に水なところがあったのだと思う。外科手術が予想以上にうまくいき綺麗に取れたので完治したと思っていたし。数ヶ月に一度CTを撮っていることは知っていたが、油断はしていただろう。化学療法には父の方が詳しいので調べたそうにしていて、病名を改めて聞かれたので教えはしたが、素人が調べても有効な抗がん剤や免疫阻害薬は明記されていないし、生存確率なんかを見てこれ以上落ち込むことにはなってほしくないなと思う。

自分が死ぬこと自体に大した苦しさは覚えない。だが家族が、若くして死ぬ悲しさ、死んでしまうかもしれない不安を与えてしまうことは正直しんどいものがある。自分にとっての救いは自分が死ぬ側でよかった、ということだが。


今日は熱中症で夜早い時間に一時間ほど寝てしまったこと、カツカレーを調子に乗って食べすぎたことで、3時過ぎまで寝れなかった。頭が痛いのも暗闇に携帯をいじっているから治らない。この辺で今日の駄文もいい加減にしようと思う。