あと5年で死ぬとして

後腹膜平滑筋肉腫の外科治療後、肝臓に遠隔転移した33歳のつれづれ。

はじめに

何から考えたら良いのだろう。

今年買ったお気に入りのオーク材のキャビネット1番上がガラス張になっていて中のディスプレイが見える。これは捨てないでほしい。18万円くらいのものだけど、それ以上にかわいいと思う。横広で、大きな紙もおらずに入るし、使い勝手が良い。脚が華奢で長く伸びているので大きさの割に軽やかに見える。絶対かわいいので、可愛さのわかる人に、愛用してもらいたい。けして旦那ではない。


旦那には、はっきり、日々の恨みがある。あと5年で死ぬとしてもそんなに申し訳なくならないのは、その恨みのおかげかもしれない。いつもこちらを配慮してくれるような、あるいは私に合わせてしまうような、優しくて自己主張の少ない夫であったなら、死ぬのが申し訳なくて辛かっただろう。正直、旦那には、ザマァ見ろと言う気がしないでもない。


猫は私に懐いているから最初は待ってるかもしれない。でも猫は自由なので、そのうち慣れるだろう。もちろん死ぬまで責任をもつつもりでうちにきてもらったけど、実際猫の死に耐えられる気がしないので、自分が先に逝けたらラッキーかな。5年後、猫はまだ10歳だから、猫の老いもそこまで感じないままいられるだろう。




「老いほど、残酷なものは、ないと、実感いたします


前回の入院の時、同室にお嬢様言葉で話されるおばあさんがいた。すごくゆっくり、やさしく、丁寧に話される。大学病院だからか、入院している高齢の方の身の回りのお世話やお話相手として、研修の学生さんらしき子たちが1日何時間か来る。よく晴れて風の通る日、窓際からおばあさんと学生さんの声が聴こえた。おばあさんはニベアを毎日塗っているらしい。それを手伝ってもらっているようだった。おばあさんはニベアの缶のデザインが素敵ねと褒めたあと、学生さんの瑞々しさを讃えた。そのあとの言葉だった。


心が締め付けられてしまった。声や会話の反応からするに、八十過ぎだろうか。わたしはこのとき三十二歳だった。あと五十年。徐々に徐々に衰えていく身体、肌、ときには病気や怪我、身近な死、生活、生活、生活。これらを五十年続けた先の病床。陽を浴びて風に吹かれる学生は、どれほど眩しく見えたのだろう。あらゆる人生の苦楽を乗り越えてきたであろううえで、老いほど残酷なものはないと。いつもより明るく光って揺れるカーテン越しに感傷に浸ったことを、今でも覚えている。